必要に迫られてのニューヨークライセンス
吉田 房子

1970年代始めだと思うが、オイルショックで世界中がパニックに陥った事がある。 アメリカですら例外ではなく、アラブからの石油が入ってこないとあって、運転免許証を持つ一人に対して、5ドル分だけ、石油を売って良いという事になった。5ドルというのは1日だったか1週間だか忘れてしまったが、どこのガソリンスタンドでも長蛇の列で、そのころ車で遠い所に演奏等に行っていた私は、5ドルぶんくらいではお手上げの状態であった。しかもわが家で免許を持っているのは、主人の吉田だけで本当に5ドルぶんしか手に入らない。

そこで私と同居人のKさんとがニューヨークの免許をとらなければならない事になった。私は67年にこちらに来る前に日本で免許証をとろうとしたのであるが、日本の場合は自動車学校の練習車がハンドシフトで、私は機械に弱いし、方向おんちときているし、自動車学校は遠くて半日はかかるし、また親切に教えてくれるわけでもない。それやこれやでギブアップしてしまった。

だが今回はそんな事はいってられない。その頃、ウエストチェスターのホワイトプレーンズに住んでいたのであるが、先ずは筆記試験からという事になった。もちろん、その頃は日本人の為に日本語の試験問題等はおいてない、吉田が陸運局からドライバーズマニュアルを貰ってきて、毎晩辞書とくびっぴきで、吉田が先生になってお勉強である。2週間ぐらい勉強して、筆記試験に合格したが、殆どまるおぼえで試験後はきれいさっぱりと忘れてしまった。

それでも合格したのだから、やはり吉田のおかげである。後で友人のSさんに聞いた所によると、彼は先生がいなかったので、何十回も落ちて、マンハッタンのDMVで有名になってしまった。彼が筆記試験にいくと、みんなが(ハーイ、ミスタースズキ)と声をかけてくれて(今回こそ大丈夫だよ)と励ましてくれたそうである。
このへんがアメリカ人の良いところで、落ちたからといって馬鹿にしたり、恥ずかしがったりしないのである。出来るまでトライすればよろしい。おかげさまで私は今だにアメリカにいるのである。 さて、次はじっちの路上試験である。もちろん練習をしなければならないので、これ又、吉田が先生になって車の練習である。吉田は当時私よりも年齢が20才も上で大変温厚な人で評判であった、もちろんそれからずっと20才違いであるが、その吉田でさえ、車の練習になると命がかかっていると思うのか大変うるさく気難しくなる。
その当時、まさか将来、自動車学校を持つ事になるとは、私も吉田も夢にも思わず、ただただ、私は嫌でしようがなかった。
(嫌々やっているからそういう事になる、だいたいやる気があるのか)等とどなられる。吉田も教え方が素人であるから、最初の内は二つ以上の事を同時にやらせてはいけない等と思わない。走っている時に車線を変更してと突然いう。あわてて変更すると、(危ない、どうして後ろを先に見て変更しないか、必ず、肩越しに後ろを見て車線を変更するものだ)等という。
私は怖くて仕方がないし、まっすぐ走る事さえ出来ないのに後ろ等振り返る余裕なぞあるものかと思うのだが、もう1回やりなおしといって聞かない。しようがないのでやって見ると車も一緒に横向きになってしまった。何回かやって見たがその度に車が横をむいてしまう、後ろを振り返る時についハンドルも後ろ向きに切ってしまうのである。
車を運転できる人はどうしてそういう事になるのか信じられない。
車の運転の教習員というものはまったく始めての人達が、それも運動神経の良くない人が、どういう気持ちでレッスンを受けているか理解出来なければならない。

その人達は出来ない訳ではない。ただひとつひとつ出来るようになるまで時間が他の人よりもかかるというだけである。それが身内になると何でこれくらいの事ができない。やる気がないのではないかと云う事になる。私はやる気がないというと又、怒られるから、(やる気があるからやっているんじゃないの)とどなり返す。 吉田でさえこうだから、まったく習いごとは身内に習うものではないという事を身にしみて思った。また、右曲がりは何とか出来るようになったから、左曲がりであるがそれも説明の仕方が悪い、彼は交差点の真ん中を車で踏まないようにして曲がらなければいけないといった。私は交差点の中心を通ってはいけないのなら、交差点の中心点をさけて直角に曲がるしかないではないか、何とまた曲芸みたいに難しい事をさせるものだと思い、実際に路上試験に落ちるまでそう思いこんでいた。

交差点を直角に曲がろうとして大きくハンドルを切り、車線に入ろうとしてして慌ててまたハンドルを切ってもう少しで対面の車に正面衝突しそうになった事がある。
そのとき、もう少しで衝突しそうになった相手の車のアメリカ人がグッドモーニングと笑っている。こちらにすると笑いごとではない。そして、路上試験の時も左曲がりが出来ないという事で1回めはおっこちてしまった。

あとで考えると馬鹿な話しで、完全な勘違いであるが、吉田の方はそうは考えない。交差点の中心を踏まないぐらいに内側を曲がれという意味である。もちろん、彼にしてみれば当り前の事であって、まさか私みたいな考え方をする者が、世の中に存在するとは思っていない。私は私で、車の左曲がりはどうしてこんなに難しくしなければならないのかわけがわからない、もう嫌になってしまって、もしもう1回落ちたら、絶対に路上試験は受けないと宣言する始末である。また、吉田にどなられて練習するのかと思うとほとほと嫌になってしまったが、そのうち、ひょんな事から勘違いがわかって、2回めは無事に合格した。

ただし、まだまだ運転できるまでにいろんな事が起きる。我々の車にはもちろんダブルブレーキがついていないので、あるとき、吉田がブレーキ、ブレーキと大声で叫んだ。私は慌ててブレーキを踏んだのであるが、それが何とアクセルであった。
車は見事にそばの木に激突した。車の前がひしゃげて、ほとんどおしゃかになりそうな具合であったが、その時その車を修理したのか、幾ら修理代を払ったのかぜんぜん覚えていない。人間の記憶というものは勝手なもので自分に都合の悪い事は忘れてしまうらしい。私が覚えているのはあの時、突然、吉田が大声で叫ぶから、なれていない私がとっさの間に間違えるのは当然だというふうに思った事だけ覚えている。もちろん、そう思った事は言葉にださなかった。


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