左曲がり

吉田 房子


1960年末から1970年代のホワイトプレーンズでは、日本人の家族は数えるほどしかいなかった。不思議な事にスカースデールやハーツデールあたりでは、日本人の会社につとめる人達がわりといたようであるが、ホワイトプレーンズでは汽車の急行が止まるというのに殆どいなかった。

その数少ない日本人の家族のOさんがホワイトプレーンズで車を買って運転免許をとる事になった。その人はジェトロのおえらいさんで、日本でも運転した事がない。Oさんは汽車の中や私の家にきた時など、取り寄せた雑誌等でどういう車を買うかという事に熱中していた。熱中していたというのは、自動車の専門紙や、カタログ等を取り寄せたり、個々の自動車の優劣を研究したり、等ということである。そこで私はOさんは新車を買われるのであろうと思っていたのであるが、(何故ならわが家では新車を買った事がないからである。)中古車を予定されているよしである。

新車でなければ、いくら研究しても、その車がなければ買う事は出来ないだろうし、中古車やへいって、どんな車があるのか見た方が早いのではないかと私は思うのだが、吉田がよけいな事は云うなという。
それでOさんの運転の練習の事は良く知らないのだが、たぶん近くのアメリカの自動車学校にかよっていらしたようであった。その時期は私が運転免許証をとる前の事だと思う。ホワイトプレーンズあたりでは、一家に車がないと大変不自由な事になる。

そして、Oさんは無事に免許証をとり、車も買って郊外の生活をエンジョイできるというところまでこぎつけたらしい。Oさんには奥さんと高校生の娘さん一人、中学生の息子さん一人がいて4人家族であった。
よく食事を一緒にしたり、解らない事を相談しあったりしたものであるが、あるとき、うちの近所の道路でOさんの家族が道端にたっている。そこで何をしているのか聞いてみたところ、奥さんいわく(車を買ったので、お父さんが皆を郊外に連れていくというのでここまできたところです)とおっしゃる。
しかし、Oさんも車も見あたらない。それでOさんが買い物にでもいったのかと聞いてみるとそうではなく(うちの娘も息子も、もういきたくないといって車から降りた所です)という。どうも良くわからない。(どうして、いきたくないの?)ときくと、子供達はだまっている。どうして道端にたっているのかも良く解らない。
そのうちに奥さんが、えい!もう云ってしまえ!というような感じで云われるのを聞いたところによるとOさんは車で左へ曲がる事が全然できないらしい。
出来ないのか怖いのか、ぜったいに左へ曲がろうとしない。それで左へ曲がらなければならない時は右へ曲がって、何とかその方向にいこうとするのだが、時間ばかりくってうまくいかないらしい。彼等がたっている道路から、彼等の住んでいる所はすぐ近くである。
朝、家を出たのにここまでしかこなくて、もうばかばかしくて、ドライブなどいきたくないというわけである。我々は何ともいいようがなくて、ドライブにつれていってあげてもいいけれど、Oさんはどうしたのか、又、Oさんの思惑もあるだろうし、彼等だって怒って車を降りたけれども、何となく家に帰るのは悪くて、ご主人がここに来るのを待っているような、いないような感じでいるらしい。

その時、私は左曲がりをしないで、いきたい所にいけるものか、いけないものか考えてみたけれども、良く解らなくて今だに結論がでないでいる。
ただ、彼は免許証を持っているのだから、路上試験に合格した筈であるし、路上試験の中に左曲がりが含まれていなかったのであろうかと不思議に思ったのを覚えている。
たぶん、その時の事が私の頭の中にあって、後日、路上練習をする時に左曲がりに対して前記のような不思議な考え方をしたのかもしれない。
とにかく、その日はそれからどうしたのか良く覚えていないけれども、しばらくして、Oさんの奥さんがこちらの免許証をとられたように覚えている。どちらかというと、奥さんの方が必要であって、ご主人は汽車でマンハッタンまでいけばいいのであるから、当然、奥さんの方が学校の送り迎えや買い物など、ニューヨークの郊外では車は必需品であり、免許証はかかせない。それに奥さんのほうが運動神経も発達していられるようで、それよりも決断力が奥さんの方がはるかにあるように感じた。その後、Oさんの運転や車に関して、何のトラブルも聞いた覚えがない。


© Anzen Driving Schools, Inc., 1999