
吉田 房子
10年以上前に日本に帰った時、弟がアメリカで大陸横断を車でしたいといいだした。
それはかまわないけれど1週間以上もかかって、ただただ走るだけのだだっぴろいアメリカ大陸は面白くも可笑しくもないよと私は反対した。
弟は「だからこそ、やってみたい、日本では半日も一日もかかって何にもないまっすぐの道路など考えられない、そんな所で思いっきり走ってみたい」
私は「それは貴方が実際に走らないからそう思うので、飛行機にのって4時間まったく真っ平らな地面が延々と続く、飛行機でさえうんざりするのに車と考えるともう気が遠くなる、オクラホマにいった時など、周囲をぐるりと見回しても地平線上に何にもない。地面と空があるだけよ」
と私が反対したから、弟があきらめたわけではなくて、彼の仕事や日程の都合からそれが実現する事なく今日まできている。大陸横断どころか彼はアメリカにきた事さえないのである。そのかわりといっては何だが、我々は九州の田舎に帰ったとき、福岡から鹿児島まで九州縦断道路を走って観光旅行をした。そのころ出来て間がなかったためか、又は過疎地帯でいつもそうなのか車は非常に少なく、アメリカの東部のハイウエイに近いような高速道路の楽しみを満喫できた。
それに味をしめて、次の時は東京近郷の温泉回りをやったが、これはまた、高速道路どころか都会の近所は長距離駐車場といったところ、走れない事もさりながら、今払ったばかりと思える料金所が次々と出てくる。その高いこと、私ははらはらして、目的地につくまで幾らかかるのかと、気が気ではない。これではマンハッタンから長距離タクシーに乗っているみたいでメーターから目が離せないのと同じ事である。弟はなれているから平気であろうが私にとってはいくら彼が払うといっても、あっという間に1万円などふっとんでいくのをみると、彼に悪くて時々は自分が払わないと悪い気になる。
そして2千円、3千円と払った料金所がまたあっという間に出てくる。そんな馬鹿な!前に払った料金でフロリダまでいけるのではないかと考えたり、まことにアメリカのハイウエイになれた身にとっては身体によくない。
私がアメリカにきたとき、ホワイトプレーンズでアパートを探すのに車がなくて往生した事がある。これが日本であれば何々駅から徒歩何分で便利だから幾らというふうになるのであろうが、こちらでは汽車の駅など関係ない。環境が良くて少しでも広い所というと、きまって汽車の駅から遠いところになる。
そのころの汽車の駅の近所は、低所得者のたまり場というよりも危険でハーレムに近い状態であった。車も持てない人達が住む場所という事であったのだろうか?
表題のハイウエイ文化というのはもちろんアメリカの事であって、汽車文化というのは日本の事である。 高速道路の充実とガソリンの安さ、車の維持費の安さと住居の環境の良さは高速道路と無関係ではありえない。またこれは交通費の安さと容易さにつながるので私はこちらにきた時、アメリカはハイウエイ文化であり、日本は汽車文化であるといったのである。それを聞いた日本人の外交官は「うまい事をいいますね」と感心してくれた。
ハイウエイ沿いに町や都会が出来ていったのであり、日本みたいにどこに鉄道が通るかで、土地の値段や環境が一変してしまうという事がないのである。また、NYスルウエイをカナダまで走るだけでも、どこまでいっても道や林が整然と整理されており、北の方にいくと片道4車線、車が1台も通っていなかったりしてアメリカの豊かさを思い知らされる。
車が1台もいないといえば、日本で長野から裏日本へ山のなかを車で通り抜けた事がある。本当に山のなかで景色はさすがにすばらしかったが、道といえば舗装されていない道が車が1台やっと通るくらいの幅である。向こうから車がくればどうするのであろうと私は気が気でなかった。そして何回めかの峠にきた時、突然道に遮断器が降りていてその向こう側は舗装道路になっているのである。我々は歓声をあげて、これから、よけいな心配をしないですむと蘇生するような思いであった。ところがである。
その遮断器を上げる人が出てきて、500円を徴収された。それはいいのだけれど、何とその舗装された道路が500メーターもないのである。それを過ぎるとまたでこぼこの土の道路なのである。私は今だに不思議でならない。あの500円の為に常時人をおいて、500メートルの舗装道路を管理させるのかと思うとそれの収支決算はどういう事になっているのであろうと思い出すたびに考えるのである。それも我々みたいな酔狂人は他にいなかった。それは車に1台も会わなかった事で証明される。何だかおとぎ話しの国にいってきたような気持ちがしているのである。それにくらべるとアメリカの自動車旅行は、安上がりで混雑もなくて一度味をしめると病みつきになる。我々はこちらに来たばかりの頃、お金もないので、炊飯器や食料を持って暇さえあれば自動車で出かけたものである。高速道路の4車線を自分たちだけで所有できるような事も沢山あるし、アメリカという国はなんと贅沢な国であろうとおもい、そのせっかくの贅沢をのがしてしまうのはもったいない。という訳である。もったいないといえば、ある時、友人のアメリカ人が「ウエストチェスターのタッパンジーブリッジはどうしてS字がたに曲がっているかしっているか」と聞いた。
我々は川の水の流れに強弱があって、そうするしかなかったのではないかといった。すると彼は「なに、予算のお金があまったからさ」とけろりとしている。
本当のはなしかどうか知らないが、その発想のしかたが日本人にはちょっと考えられない。彼にいわせると本当の事でせっかく予算があるのだから、見ためにきれいなもの、よそにない物を作るのが何故悪い!と云うことになる。まったくおっしゃるとうりだが我々日本人の貧乏症からいうとそういう発想はちょっと出てこない。
こちらに転勤等でこられた家族が、特に主婦が車の運転を近所の買い物と子供の学校の送り迎えにしか、利用されない。せっかくアメリカに来ても、フォートリーやロングアイランドから時々日本に帰るだけで他の土地や州の事は何もしらないという人達を私は沢山しっている。
ある学校の寮に入っている学生等はマンハッタンに1回もいった事がなくて、日本に帰った時、友達にマンハッタンの事を聞かれても答えようがない等とこぼしていた。
自分で運転して、自分でモテルを見つけてその日の泊まる場所を見つけるのもやってみれば結構たのしいものである。また、地方のアメリカ人に接する機会も多くあって、アメリカに対する偏見や一方的な見方も修正されるし、何よりもアメリカの大きさを自分で体験する事ができる。せっかくの素晴しい高速道路の運転をミスされないように、、、と願う次第である。
© Anzen Automobile Driving Schools, Inc., 1999